幼少期から徳川家康に仕えた安藤直次は、姉川の戦いや長篠の戦いで功績を挙げた忠臣。小牧・長久手の戦いでは池田恒興や森長可を討ち取り、関ヶ原の戦いでは使番として従軍し、家康を支え続けました。慶長8年(1603)に家康が征夷大将軍となると直次は、本多正純や成瀬正成と共に幕政を取り仕切るようなり、駿府(現静岡市)の大御所政治の老中格として活躍しました。やがて慶長15年(1610)には、家康の10男、頼宣の付家老に。慶長19年(1614)からの大坂の陣では、付家老として年少の頼宣に代わり軍を率いて参戦。大坂夏の陣で嫡子の重能が戦死するも、その死を悼むより軍の立て直しを優先する臣下としての忠義を尽くしました。元和5年(1619)、頼宣が和歌山城に移ると、紀州藩付家老として同行、それまでの掛川城(2万石)から同国田辺城に移され3万8800石の所領を与えられました。有能でありながら義に厚い、いかにも三河武士といった風情の直次に頼宣は全幅の信頼を寄せ、「自分が大名としていることができるのは、直次がいてくれたからだ」とまで述べています。田辺に残る史跡をたどり、付家老安藤家の城下町を散策してみましょう。
モデルコース
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起点. 阪和道南紀田辺IC
車で10分
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1. 西方寺20分地図
さいほうじ
田辺藩城代付家老、安藤家の菩提寺で、初代直隆より歴代の29基の墓碑があります。安藤直隆は紀州徳川家の付家老、安藤直次の従弟。本尊は阿弥陀如来。境内の延命地蔵菩薩も地域の人々から親しまれています。
- 社寺関係
- 住所
- 田辺市古尾25-3
- 電話番号
- 0739-24-3094
- 営業時間
- 境内自由
- 定休日
- 境内自由
- 料金
- 境内自由
- 駐車場台数
- P10台
車で5分
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2. 田辺城跡40分地図
たなべじょうあと
会津川の河口付近にあった田辺城は、別名「錦水城(きんすいじょう)」とも呼ばれます。徳川頼宣の転封に従い付家老の安藤直次が田辺に領地を得て入城しました。明治4年(1871)に廃城となり現在は水門や石垣など城の一部が残り、付近では井戸跡など当時を偲ばせる史跡に出会えます。
- 城・庭園・公園・温泉等
- 住所
- 田辺市上屋敷三丁目
- 電話番号
- 0739-26-9929(田辺市観光振興課)
- 営業時間
- 散策自由
- 定休日
- 散策自由
- 料金
- 散策自由
- 駐車場台数
- P5台
徒歩で5分
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3. 扇ヶ浜台場跡10分地図
おうぎがはまだいばあと
安藤家第16代藩主直裕が田辺の町を防衛するため、江戸で砲術を学んだ家臣・柏木兵右衛門に命じて築かせた台場跡。大砲の試射を行ったところ、砲弾は白浜半島先端にある番所付近にまで届いたといいます。
- 城・庭園・公園・温泉等
- 住所
- 田辺市上屋敷二丁目15-24
- 営業時間
- 散策自由
- 定休日
- 散策自由
- 料金
- 散策自由
- 駐車場台数
- あり (市営扇ヶ浜海岸駐車場)
車ですぐ
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4. たな梅本店20分地図
たなうめほんてん
古くからの紀州田辺の名産品、蒲鉾・なんば焼。四角い形状で中心部になんばきび色の焼き色が付いているのが特徴です。エソ、グチなどを原料にしていて歯ごたえも風味も抜群。1枚1393円(箱入り)。田辺の藩主が江戸に魚を献上する際、日持ちのする加工品として作り出されたのが、なんば焼だったともされています。
- お土産処
- 住所
- 田辺市福路町39
- 電話番号
- 0739-22-5204
- 営業時間
- 8:30〜17:30
- 定休日
- 無休
- 駐車場台数
- P3台
車ですぐ
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5. 辻の餅20分地図
つじのもち
江戸時代の子どもの「おけし頭」に似ていることから名づけられた「おけし餅」は、遠方から買いに来る人も多いという人気商品。甘すぎない餡といつまでも口に留めたいやわらかさの餅が愛され続ける秘訣のようです。
- お土産処
- 住所
- 田辺市北新町1
- 電話番号
- 0739-22-1665
- 営業時間
- 8:30〜17:00
- 定休日
- 火曜(不定休あり)
- 駐車場台数
- P5台
徒歩で5分
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6. 宝来寿司60分地図
ほうらいずし
田辺湾特産の海藻・ひとはめでシメサバを包んだひとはめ寿司648円が名物。酢飯に赤シソを混ぜ込み、風味豊かに仕上げています。県内で水揚げされた鮮魚が堪能できる、かつおと釜揚げしらすのづけ丼ずし1080円もおすすめ。
- 飲食関係
- 住所
- 田辺市湊18-12
- 電話番号
- 0739-22-0834
- 営業時間
- 10:00〜21:00
- 定休日
- 月曜
- 駐車場台数
- P10台
車で5分
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7. 藤巖神社20分地図
とうがんじんじゃ
安藤直次は、幼少から徳川家康に近侍し、姉川の合戦、長篠合戦、長久手合戦などに従軍し、後に家康の側近として幕政に参画しました。慶長15年(1610)家康の第10子頼宣の傳役となり、大坂の陣には頼宣に従って出陣し、元和五年(1619)頼宣が紀伊に移ると、紀州徳川家付家老として田辺藩主となり3万8800石を支配しました。藤巖神社は、現在の田辺の原形を作った田辺藩初代藩主「安藤直次(藤巖公)」の功績に感謝し、明治19年(1886)有志により、鬪雞神社境内に建立されました。
- 社寺関係
- 住所
- 田辺市東陽1-1
- 電話番号
- 0739-22-0155(鬪鶏神社)
- 営業時間
- 社務所 8:30〜17:30
- 定休日
- 境内自由
- 料金
- 境内自由
- 駐車場
- P100台
車で7分
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8. 八幡神社20分地図
はちまんじんじゃ
紀伊田辺駅の裏手にある神社。元和8年(1622)に、安藤直次の命で石清水八幡宮から勧請して創建されました。この場所は、田辺城の鬼門にあたり、城の鬼門除けとして祀られていたと伝えられます。
- 社寺関係
- 住所
- 田辺市高雄三丁目1
- 営業時間
- 参拝自由
- 定休日
- 参拝自由
- 料金
- 参拝自由
車で25分
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9. 奇絶峡30分地図
きぜつきょう
会津川の上流にある渓谷。河原には不思議な形の石がゴロゴロと並び、なかには10mを超える巨石も見られます。山の新鮮な空気の中、岩の間をほとばしるように走る水や水量豊かな滝の水音を聞いていると、心まで清らかになるよう。紅葉の時期には、渓谷一面が色付き、普段の奇景とはまた違った世界が見られます。
- 絶景
- 住所
- 田辺市上秋津
- 電話番号
- 0739-26-9929(田辺市観光振興課)
- 営業時間
- なし
- 定休日
- なし
- 料金
- 見学自由
- 駐車場台数
- あり
車で15分
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10. 紀州石神田辺梅林30分地図
きしゅういしがみたなべばいりん
和歌山の梅栽培の始まりは安藤直次が年貢に苦しむ農民を救うため、山の斜面などで梅を育てることを推奨したのがきっかけ。これが見事に当たり、田辺の梅は江戸でも有名になるほどに。今では開花の時期になると、一目30万本と称されるほどに白い花が咲き乱れ、地域全体を梅の香が包みます。
- 絶景
- 住所
- 田辺市上芳養5057−2
- 電話番号
- 0739-26-9929(田辺市観光振興課)
- 営業時間
- 9:00〜17:00(観梅期間中2月上旬〜3月上旬のみ開園※開花状況により期間変更の場合あり)
- 定休日
- 期間中無休
- 料金
- 入場料=無料
- 駐車場台数
- P30台
車で30分
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終点. 阪和道南紀田辺IC
秘話
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秘話 1石高とは無縁の忠義者、直次
直次は出世が遅かったことで有名。同僚が1万石の大名となっても5000石のままだったが、家康への忠義は揺るがず。しかし見かねた成瀬正成が事の次第を家康に話したことで、一度に5000石を加増されました。
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秘話 2田辺に来たのに城がない!?地図
直次が初めて田辺に来た時、入城すべき湊城はすでに廃城となっていたため、民家に宿泊したといわれています。この城を再興したのが「田辺城」で、石垣の上に連なる白壁の土壁が海に映えて美しく、錦水城と呼ばれていました。
- 住所
- 田辺市上屋敷三丁目
- 電話番号
- 0739-26-9929(田辺市観光振興課)
- 営業時間
- 散策自由
- 定休日
- 散策自由
- 料金
- 散策自由
- 駐車場台数
- P5台
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秘話 3付家老5家に対する明治政府の思惑
安藤・水野(紀伊藩)、成瀬・竹腰(尾張藩)、中山(水戸藩)の5家は譜代大名並みの待遇を求めましたが、幕府はこれを認めませんでした。一方、明治政府は付家老5家を大名に取り立てました。これは旧幕府勢力との戦いを有利にするための政策でした。
インスタ
映え
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インスタ映え 1奇絶峡の磨崖仏(まがいぶつ)地図
奇絶峡から山道を5分ほど登ると、巨岩肌に刻まれた三体の仏様が見えてきます。足元には座禅にぴったりの岩もあるので、一緒に座禅を組みながら1枚撮ってみては?
- 住所
- 田辺市上秋津
- 電話番号
- 0739-26-9929(田辺市観光振興課)
- 営業時間
- なし
- 定休日
- なし
- 料金
- 見学自由
- 駐車場台数
- あり